LOGIN東都アセットとの説明会から二日後。
追加資料が届くより先に、帝人さんが施設の図面を広げていた。
商業区画。
オフィス棟。
駐車場。
駅へ続く歩行者通路。
私は次の予定を確認しながら、その様子を横目で見る。
「帝人さん、さっきから同じところ見てません?」
「見ている」
「そこは認めるんですね」
帝人さんが指しているのは、施設の中央にある吹き抜け周辺だった。
「この場所だけ空室率が低い」
「一階の中央ですか?」
「ああ。施設全体では六十八%なのに、この区画は九割を超えている。逆に駅側の二階と三階が極端に弱い」
資料を覗き込む。
確かに差が大きい。
「人が一階にしか来ないとか?」
「それなら、なぜ来ないのかを確認する必要がある」
「資料には動線が悪いって書いてましたよね」
「書いてある」
東都アセットとの説明会から二日後。 追加資料が届くより先に、帝人さんが施設の図面を広げていた。 商業区画。 オフィス棟。 駐車場。 駅へ続く歩行者通路。 私は次の予定を確認しながら、その様子を横目で見る。「帝人さん、さっきから同じところ見てません?」「見ている」「そこは認めるんですね」 帝人さんが指しているのは、施設の中央にある吹き抜け周辺だった。「この場所だけ空室率が低い」「一階の中央ですか?」「ああ。施設全体では六十八%なのに、この区画は九割を超えている。逆に駅側の二階と三階が極端に弱い」 資料を覗き込む。 確かに差が大きい。「人が一階にしか来ないとか?」「それなら、なぜ来ないのかを確認する必要がある」「資料には動線が悪いって書いてましたよね」「書いてある」 帝人さんが図面を指でなぞった。「だが、『動線が悪い』では情報として粗い。エスカレーターの位置なのか、入口から見えないのか、案内表示なのか、それとも二階へ上がる理由そのものがないのか。それによって改修内容は全部変わる」 そこまで言って、帝人さんが図面を閉じた。「小春。来週の予定を一日空けろ」「一日?」「現地へ行く」 私は一瞬、予定表から顔を上げた。「帝人さんが?」「俺が行くと言っただろう」「いえ、そこじゃなくて」 なんとなく。 少し意外だった。「現地を見た方がいいって、今回は私まだ言ってないですよね?」「ああ」「それでも行くんですか?」「行く」 帝人さんは当然のように答える。「今ある資料だけで再開発後の店舗構成を決めれば、また資料に書かれた言葉をこちらで勝手に解釈することになる。東都が次に数字を修正してきても、その前提に
帝人さんが開いたのは、撤退済みテナントへの聞き取り結果だった。「ここに『客層との不一致』を撤退理由として挙げた店舗が十一社ある。賃料や設備の問題とは別に、想定していた客が来なかったという意味だな?」「はい。業種によって差はありますが、その傾向は確認されています」 東都側の責任者が答える。 帝人さんは資料から目を上げた。「前回の提案資料には、この項目がなかった。なぜ見せなかった?」 一瞬。 空気が変わった。 責任者は少し迷ってから口を開く。「初回提案では、再開発後の可能性を中心にご説明する方針でした。過去の撤退理由については、詳細資料の段階でご提示する予定で――」「順番の話をしているんじゃない」 帝人さんは声を荒らげなかった。 でも、だからこそ室内が静かになる。「十一社が同じ傾向を示しているなら、それは単なる過去の失敗ではない。今の施設がどんな客を集められていないかを示す材料だ。しかも東都は、その状態から三年で九十二%まで戻す計画を出している。その前提を考える上で重要な情報だと分かっていたはずだ」 責任者が黙る。「悪い情報を後から出したこと自体を問題にしているわけじゃない。初期資料ですべてを出せと言えば、何百ページあっても足りなくなる。情報を絞ることは必要だ」 帝人さんが資料を閉じた。「だが、何を残して何を省くかには、提案する側の意図が出る。俺が聞いているのはそこだ。なぜ、この十一社の情報を初回では見せない方がいいと判断した?」 少し長い沈黙のあと。 責任者が息をついた。「……地域に根付いた施設であることを、まず評価していただきたかったからです」「なら、最初からそう言えばいい」「え?」「『当社はこの施設の地域価値を強く評価しているため、初回提案ではその部分を中心に構成した』とな。そうすれば、こちらも資料に提案者の主張が入っている前提で読む」 帝人さんの指が
翌週。 東都アセットとの説明会には、宮坂さんのほか、事業責任者と現地運営会社の担当者も出席していた。 前回とは違い、私の前にも帝人さんの前にも同じ資料が置かれている。 利用者アンケート。 退去済みテナントへの聞き取り。 空室区画ごとの推移。 競合施設との比較。 かなり増えていた。 私は資料の厚みを見ながら、少しだけ安心する。 前回みたいに、私には「人の声」だけ。 帝人さんには「数字」だけ。 そんな分け方はされていない。 帝人さんが表紙から数ページめくり、全体を確認した。「前回よりは揃えたようだな。では最初から説明してくれ。今回は結論を急がなくていい。九十二%という目標を置いた理由と、その数字に至るまでの前提を順番に確認する」 東都側の責任者が頷き、再開発計画の説明を始めた。 基本方針は前回と変わらない。 商業区画を改修し、地域密着型の店舗と新規テナントを組み合わせて稼働率を戻す。 三年後の目標は九十二%。 ただし今回は、その数字に至るまでの内訳まで追加されていた。「既存テナントの継続率を七割程度と見込み、新規誘致によって空室を段階的に埋めます。初年度は改修の影響も考慮して八十%前後、二年目以降に――」 説明を聞きながら、私はアンケートのページを追った。 残してほしい店。 なくなって困るサービス。 施設への不満。 前に私へ渡された資料より、ずっと現実的だった。『古くて使いづらい』『駐車場から売り場まで遠い』『飲食店の選択肢が少ない』『若い世代向けの店がない』 思い出がある。 なくなってほしくない。 そんな声だけではない。 今の施設を使っているからこそ感じる不満も、ちゃんと並んでいる。 そこまではいい。 でも。
帝人さんは、東都アセットから私に渡された資料を最後まで黙って読んだ。 ページを戻しては数字を確認し、利用者の声と写真を見比べている。 途中で何度か眉間の皺が深くなったけれど、私は何も言わなかった。「小春」「はい」「この資料自体に、虚偽はないと思うか」「たぶん。少なくとも、作った話には見えませんでした」「俺もそう思う」 帝人さんは資料を机へ置いた。「だから厄介だ」「やっぱり?」「ああ。嘘なら排除すれば終わる。これは本当の情報だけを選んで、特定の印象を作っている」 帝人さんが一枚を指す。「『二十年以上利用している』『地域に必要』『なくなってほしくない』。全部事実だとしても、それだけで施設全体の価値は判断できない。何人に聞いたのか、全利用者の何%なのか、離れた客がなぜ離れたのかがない」「私もそこが気になりました」「テナントも同じだ。残りたい店舗の声はあるのに、撤退した店舗の理由がない。賃料、設備、客数、契約条件。そのどれが原因だったのかも分からない」 資料に書かれている言葉だけなら、施設を残したくなる。 でも。 書かれていない側にも、同じくらい理由がある。「帝人さん」「何だ」「怒ってます?」「怒っている」「やっぱり」「ただし、資料の作り方そのものにではない」 意外だった。「こういう資料を作ること自体は珍しくない。提案する側が、自分たちに有利な情報を強く見せるのも当然だ」「じゃあ何に?」「小春にだけ先に渡したことだ」 そこなのか。「しかも、お前が何を見る人間かを調べた上でな」 帝人さんの声は静かだった。「相手が俺に『地域価値があります』と主張するだけなら交渉だ。だが、小春がそれを言えば俺が重く見ると考えて、先に材料を渡した。それは提案内容ではなく、俺たちの関係を交
「……そういう意図が全くなかったとは言いません。ただ、判断を誘導するつもりではありませんでした」 宮坂さんは慎重に答えた。 少なくとも、全部否定するつもりはないらしい。 その正直さには少しだけ好感を持った。 でも。 それとこれとは別だ。「それなら、良い情報と同じだけ悪い情報も見せてください」 私は閉じた資料へ手を置いた。「利用者からの不満も、退去したテナントの理由も、地元から反対されていることがあるならそれも。残したい人の声だけじゃなくて、もう使わないと言った人の声も見たいです」 宮坂さんが黙る。 私は少しだけ言葉を選んだ。「私は、この施設を残したい人の代表じゃありません」 口にして、自分でも少しだけ胸の奥が動いた。 人の話を聞くことは大事だと思う。 数字に出ないものを無視したくないとも思う。 でも。 だからといって。 人の感情だけを代弁するために帝人さんの隣にいるわけではない。「人の話を見ることはあります。でも、人の話だけを見るわけじゃないです。赤字なら、その理由も知りたいです。残したいという声があるなら、逆に離れていった人が何を嫌だったのかも知りたい。全部見た上で、それでも価値があるのかを考えたいです」「……承知しました」「それと、帝人さんと私に違う情報を見せるのはやめてください」 宮坂さんがこちらを見る。「同じものを見た上で、違うところに気づくなら、それでいいので」 帝人さんは帝人さんの目で見る。 私は私の目で見る。 だから意味がある。 最初から見せるものを分けられてしまったら、それは別の視点ではなく、別の材料を与えられているだけだ。「分かりました。次回は全資料を揃えます」「お願いします」 話が終わり、宮坂さんが帰っていく。 私
週明けの午後。 帝人さんの執務室へ、新しい案件の資料が届いた。「東都アセット? 皇グループと取引ありましたっけ?」 表紙の会社名を見て尋ねると、帝人さんが資料を開いた。「不動産運用会社だ。直接の取引はない。今回が初めてになる」 地方都市にある大型複合施設の再開発案件。 築二十年以上。 商業区画の空室率が上がり、オフィス部分も設備更新が必要になっている。 東都アセットは施設を取得し、皇グループとの共同再開発を提案してきたらしい。「また再開発ですか。嫌ってわけじゃないですけど、最近多いなと思って」「金が動くところには案件も集まる」「帝人さんが言うと身も蓋もないですね」 帝人さんは気にせずページをめくる。「数字だけなら悪くない。取得価格は妥当だし、周辺人口も大きく落ちていない。駅からも近い。ただし、東都側の収益予測は強気だ」 一枚の資料がこちらへ向けられる。「商業区画の稼働率を、現在の六十八%から三年で九十二%まで戻す前提になっている」「結構上げますね」「ああ。しかも根拠が薄い。周辺再開発と人口流入だけで説明していて、どんなテナントを入れて稼働率を戻すのかも曖昧だ」「じゃあ、今の段階ではまだ判断できない?」「そういうことだ。来週、現地側も含めて説明を聞く」 それで話は終わった。 はずだった。 ◇◇◇◇ 二日後。「倉橋さん、こちらをご確認いただけますか?」 声をかけてきたのは、東都アセットから先に資料を届けに来た担当者だった。 三十代半ばくらいの女性で、名刺には事業開発部・宮坂とある。「帝人さんへの資料でしたら、こちらでお預かりします」「いえ。こちらは倉橋さんに見ていただきたい資料なんです。現地の利用者やテナントへのヒアリングをまとめました」 少しだけ嫌な予感がした。 最近、こういう「私にだけ」